他人事ではない。僕が関わってきたのがテレビ報道の仕事だから、この映画には既視体験のような部分さえある。あの日のことを思い出す。2001年の9・11同時多発テロ事件だ。あの日、僕らは無我夢中でテレビ局のサブ(副調整室)の中で、NYの貿易センタービルが倒壊するさまを生中継していた。戦争や「テロ事件」を、スポーツ中継のように報じることが、かつてあったし、今もある。これからもあるのだろうか。一人一人が問われている。
今作は衛星中継に関わるスタッフが、“実際に見たものしか描かない”というルールの基に作られている。現場の様子を伝える無線の音声や、遠くに聞こえる銃声。それは、観客の想像力を喚起させ、「中継スタジオに届く情報」=「観客が知り得る情報」という公式を導く由縁にもなっている。優先すべきは視聴率か、それとも倫理なのか?事件から半世紀が過ぎ、史実を知らない世代に再考させる意義がこの映画にはある。
オリンピック開催中に起きたテロ事件をライブ中継したのが、報道局ではなくスポーツ局だったところが、成り行き上必然的というか、画期的というか。テロリストの実像云々より、TV局内のパワーバランスに注視した本作は、時代を巻き戻してTVの未来を予言しているようで、”なるほど”と思ってしまった。
最高におもしろい! 有名な実事件に遭遇したテレビクルーたち。どう撮るか?放送すべきか? 瞬時の判断の連続が生むスリルと緊張感にアドレナリン全開で釘付けだ。報じることは正義か否か。報道が背負う十字架の重みもズシリと。
1972年ミュンヘンオリンピックで起きたテロ事件。その一部始終を生放送したテレビ局の副調整室(サブ・コン)で起きた物語。断片的な情報の裏どり。映像取材体制や伝送経路の確立。長時間のアドリブ放送…。私も幾度となく体験したが、映画が描くリアルさは本物だ。ほぼ全編を占める暗いサブ・コンのタイトな映像が、限られた情報しかない中、命に関わる判断を迫られたテレビマンたちの緊迫した心理を描き出す。テレビジャーナリズムのパワーと危うさを教えてくれる力作だ!!
局アナ時代、実際に人質事件の生放送を体験したが、このシビアな感覚は他人にはわからないと感じていた。しかし、この作品は生放送のスタッフの興奮を見事に描いている。ディレクターの隣に座っているかのような臨場感と細部までこだわりぬいた結果生まれる緊張感。「あなたがディレクターなら、次はどうする!」とスクリーンが問いかけてくるのだ。
イスラエル情勢が不穏な現在に、パレスチナ過激派組織によるイスラエル人虐殺事件を生々しく描いた作品が登場した文脈は重い。本作の極限の緊張感は、現在の世界と共振して、スクリーンのこちら側の観客を揺さぶり続ける。これは、息もできない95分間。
緊迫の生中継が浮かび上がらせる、報道に関わる者の矜持。対立によって、罪のない人たちの命が奪われる悲劇。胸に突き刺さるすべてが、“現在”に通じる。現地採用スタッフ・マリアンネに託された戦後ドイツの願いが痛切だ。時々刻々と移り変わる状況に息を詰めさせる一級のサスペンスでありながら、自分自身の仕事への向き合い方も見つめ直させてくれる傑作。必見!
オリンピックウォッチャーの私もその出来事を詳しく知ることなかった1972年。ですがミュンヘンオリンピックという響きに影があることは小さい頃から感じていました。現場の緊迫したやりとり、葛藤、クルー全員の熱量、どれも今の放送現場にあるのだろうかと考えます。恐ろしい映画です。
生放送という、リアルタイムで極限の選択を迫られる中でベストを尽くす。だが、決して完璧な放送は成し得ない。そんな放送人の宿命に共感した。この映画は「神の視点」では描かれない。今、何が起きているのか?何を伝える?ここには「魂」があり「フェイク」はない。
スピルバーグの「ミュンヘン」とはまた違った角度で、マスコミ側から見たあの事件を1972年という時代の空気と共に見事に再現しており唸りました。全世界注目のなか突如起こる異変をどう伝えるか?をスリリングな緊張感で味わう濃厚な作品。全てを見せるのか見せないのか、倫理はいつの時代も正しい正解なんて決してあり得ない。
初めてリアルタイムで映し出された""テロリズム""何が正解で、何が間違いだったのか、今となっては分からない。彼らが紡いだ物語が、言語の壁を超え、世界を変えたことは事実だ。
誰もが情報の発信者になり得る現代に、この作品が公開される意義を強く感じました。当時9億人が観た放送史に残る生中継。凄惨なこの事件を伝えた裏側にあったのは正義感だけではありませんでした。誰かの嘘が拡散され、真実になり変わるインターネット社会。全員が情報の扱い方に責任を持たなくてはいけないなと痛感させられました。
生まれて初めて徹夜して、リアルタイムで観たオリンピックがミュンヘン大会だった。マークスピッツの世紀の快泳を目に焼き付けた裏で、こんな凄まじい生中継が行われていたとは知る由もなかった。でも今知ってしまった。知って良かった。観て良かった。絶対観るべし。
フィルムの質感のまま、表現された90分に惹きつけられた。スタジオ調整室のスタッフの一員のような気持ちに。
会話劇を中心に終始緊迫した演出で観客を引き込む手に汗握るドラマ。不安定な現代の世界情勢にも直結する実話を基にした物語は観る者に「あなたはどう思う?」と問いかけます。傍観者が伝えたいストーリーは誰のものなのか?メディアに携わる身として、その責任についても考えさせられました。
『セプテンバー5』は黒澤監督のサスペンス映画『天国と地獄』で身代金を車窓から投げ落とす、ハイテンスな特急こだまのシーンが95分間続くような感じだ。
“知る人ぞ知るミュンヘン五輪の裏側”で終わらせなかったマスコミの英断。あの日、生中継をしたことは昨今のジャーナリズムに多大な影響を与えたに違いない。生放送の臨場感も含めて、必死に過ちを伝えようとするマスコミ界を映した最高峰の作品を観て欲しい。
当局発表、フェイク、報道協定の在り方、時代は変わり、インターネットの時代でも、何をどう報じるかは変わらない。目の前の出来事をありのままに伝えること、正確な情報を伝えること。半世紀前の先人たちの姿は、メディアがどうあるべきかを考え続けなければならない、と教えてくれている。
報道とは、伝えるとはどういうことなのか、言葉ひとつひとつの責任と重さ・・・「考えさせられました」というのは、感想を述べるときによく使われる言葉ですが、この映画に関しては、考えさせられることがあまりに多くてくらくらしました。